藤井 高尚 ふじい たかなお
   

あやめ
かくれぬの あやめの草は 我なれや
みやこにおぬ人に ひかれて
菖蒲
隠れ沼の 菖蒲の草は 我なれや
都におぬ人に ひかれて
5.5p×35.8p

宝暦13年(1764)生〜天保11年8月15日(1840年9月10日)歿
 江戸中期から後期にかけての国学者・歌人。
 賀陽郡宮内村(現岡山市吉備津)で吉備津宮祠官藤井高久と妻小春の子として生まれた。幼名は忠之丞、通称は小膳、松屋・松斎と号し、家の名を松の屋という。少年時代は備中笠岡の小寺清先に国学を学び、京都の栂井一室に和歌を学んだ。
 寛政5年(1793)、30歳にして伊勢松阪(現三重県松阪市)の本居宣長に入門し、『源氏物語』について手紙で質すなどして学んだ。高尚は、吉備津神社の神官を務めるかたわら平安朝の古典文学研究に大きな業績をあげているほか、文章作法書、音楽、演劇論、和歌、神道など多岐にわたって膨大な著作を残している。
 宣長没後も関西の本居派の中心として活躍し、時折上京して城戸千楯の開いた鐸屋に出講するなど、関西鈴門の中心的存在として活躍し、200〜300名におよぶ門人がいた。
 著書は多く、主著の『三のしるべ』では儒・仏を神道をたすけるものとする三教一致論的立場が示された。他に古代の書簡をまとめた『消息文例』、『伊勢物語新釈』『古今和歌集新釈』『三のしるべ』『松の落葉』などがある。

推奨サイト
http://www.libnet.pref.okayama.jp/mmhp/kyodo/person/fujii/FUJII.HTM
https://kotobank.jp/word/%E8%97%A4%E4%BA%95%E9%AB%98%E5%B0%9A-15168
http://www.norinagakinenkan.com/norinaga/kaisetsu/fujii.html
http://burari2161.fc2web.com/fujiitakanao.htm
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000041508


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